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2007年12月28日

この一年の感謝をこめて


 早いもので、今年もまたたく間に月日はめぐり、あと三日を残すのみとなりました。まもなくやってくる新年を迎えるにあたり、一年の埃を払う煤払いに大忙しの皆さまも多いのではないでしょうか。

 振り返れば、今年の元旦は、清々しく晴れ渡った朝の7時06分、東118度の方位に神々しいばかりに輝くご来光を拝し、誠に幸先の良い出足となりました。折しも今年は私の還暦の年でもあり、もう一度初心に還り、情熱とパワーで一年を乗り切ることを誓った新年の朝でした。幸い、多くの皆さまのお力添えをいただき、経済不振の世情の中でも大過なく年末を迎えることができましたことを、心より感謝申し上げます。

 新年も本年に引き続き力の限り社業に励み、私事においては謙虚に学びの姿勢をもって事に当たりたいと考えております。何とぞ、ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
 最後に、この一年、本当にありがとうございました。

追伸
 以前、ここでご紹介した経切太鼓(写真1)が完成しました。胴づくりから革張り、金具装着、漆塗り、金箔置き、絵付け、台製作など、すべて若い職人7人が、精魂込めて製作しました。一年の締めくくりを飾るにふさわしい華やかな太鼓の完成です。ご苦労様でした。


経切太鼓
(写真1)

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2007年12月21日

『鼓童』の太鼓


 「大太鼓はなんとしてもケヤキで」と、かたくなにケヤキにこだわる青木孝夫代表の熱意に応え、10年来ケヤキの巨木を探し求めて、この春にやっと納品した鼓童の3尺9寸の大太鼓。1980年、崩壊した『佐渡國鬼太鼓座』の座長、田耕氏に鬼太鼓座の看板と3尺8寸のケヤキ製大太鼓を渡し、残った座員で『鼓童』を設立して、未知の荒海に漕ぎ出して以来の青木氏の奮闘ぶりを知っているだけに、私はなんとしてもその願いを叶えたい一心でした。そして4年前、栃木県産の直径約2mのケヤキの原木と対面した時の感動。その日から永年の悲願は現実のものとなり、原木に初めて刃物を入れる『斧始め(写真1,2)』から皮の選別、仮張り、本張りとすべての工程に手をかけ、ようやく完成した思い入れの深い太鼓です。しかも非常に原木の素性が良く、大太鼓の胴を抜いた余材から2尺6寸の子太鼓、さらに1尺5寸の孫太鼓まで製作できたことは、予想外の幸いでした。

 これらの太鼓は8月に行われた『アース・セレブレーション』で初舞台を踏み、私も自分の耳でその音色を確かめました。しかし、舞台芸能の楽器として使われる以上、なんとしても気になるのが、劇場という舞台空間での音の響きです。そこで劇場公演としては初舞台となった鼓童の12月公演の最終ラウンド、『文京シビックホール大ホール』での東京公演に、製作にかかわった社員たちとともにお邪魔しました。

 開演時間が近づくにつれ、この巨大なホールにどんな響きがどう伝わるのか、我にもなく緊張が高まり、耳の奥に「ドクドク」と血の脈打つ音が聞こえてきます。そしていよいよ開演。暗転した舞台の中央で、徐々にスポットライトに浮かび上がる大太鼓に、藤本吉利氏がゆっくりと最初の一撃を振るいます。「ドーン」。ずしんと芯のある音が表革から裏革に突き抜け、余韻が美しいスロープを描いて収束していくのを聴きながら、私の脳裏には太鼓の胴の中で起こっている風景が見えました。強烈な革の振動により胴の中に倍音が高じ、内壁にほどこした扇状波動彫りの稜線の一つ一つに、転がるように音圧がこだましていく様子が。それを確認した時、私はこれで本当に鼓童の大太鼓製作が完了したことを実感したのでした。近来稀に見るケヤキの巨木に出会い、生涯忘れ得ぬ良い仕事をさせていただいたことに感謝をしつつ、帰途についた一日でした。

斧初め
(写真1)

斧初め
(写真2)

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2007年12月17日

心のこもった「浅野太鼓節」をいただきました


 私が関わる団体に、84歳をすぎてなお凜と背筋を伸ばし、趣味で詩作に励んでおられるご婦人がいます。お目にかかるのは年に数回ですが、このほどそのご婦人から「浅野太鼓節」と名付けた詩をいただきました。思いがけない嬉しい贈り物なので、ここにご紹介します。

   【1番】
   おお太鼓よ太鼓
   トドンコドンドン
   神代の昔から
   愛され親しまれ
   その妙音は人の五感に
   響きこだまする
   どこまでも響け
   世界の果てまでも
   永遠に響け
   ドドンコドンドン

   【2番】
   おお太鼓よ太鼓
   トドンコドンドン
   老ひも若木も
   皆湧き上がれ胸の
   血潮よ舞い上がれ
   山を越え海を渡り
   世界の果てまでも
   永遠に響け
   ドドンコドンドン
               安部 初栄・作詩

 浅野太鼓を応援するため、心をこめて作ってくださったことを思うと、ただただ有難いばかりです。どうかいつまでもお元気で、これからも浅野太鼓をよろしくお願いします。

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2007年12月16日

思いがけない還暦祝いに感激!


 私が理事長をつとめさせていただいている子育て支援NPO法人「おやこの広場 あさがお」で、15・16日の二日間、「みんなで一緒にクリスマス☆2007」と題して、一足早いクリスマス会が行われました。「おやこの広場」は0歳児からの子育てに悩むお母さんたちの要望を受けて、平成17年に設立されたもので、年間、のべ2万3000人ほどの皆さんに利用されています。

 クリスマス会には会員の親子353人が参加し、私も会員の皆さんと楽しい時間をすごさせていただきました。そしてプログラムにしたがって最後の大抽選会が終わったところで、思わぬサプライズ! 今年還暦を迎えた私のために、60人の子供たちがそれぞれ1本ずつ私にバラの花をプレゼントしてくれたのです。その嬉しかったこと!

 思えば、4月には、毎年開催している和太鼓コンサート「白山国際エクスタジア」のスタッフによる還暦祝い、11月には4人の子供たちが私の知人・友人を招いて還暦仮装パーティーを催してくれました。そして今日は3度目の還暦祝い。3度も祝っていただくなど、不徳の身には過ぎたる幸せと恐縮しつつ、未来ある子供たちからのプレゼントにたくさんの若いエネルギーをもらったような気がしたひと時でした。どうやら私にとって今年のサンタさんは、たくさんの子供たちだったようです。

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2007年12月 9日

山祭りで、山の神様と木の神様に一年の感謝


 木の恩恵があればこそ400年近くにわたって太鼓づくりひと筋に歩んできた浅野太鼓は、毎年12月9日の「山祭り」の日に、社員全員で白山比咩神社に参拝し、山の神様と木の神様に一年の感謝と鎮魂の祈りを捧げるのが習わしになっています。山祭りは、木の文化によって生活してきた日本人にとって欠かせない大切な祭事として古くから受け継がれてきた年中行事の一つですが、生活様式の変化からか、十数年前からは暦に記載されることもなくなり、「山祭り」という言葉そのものさえも失われつつあるのは悲しいことです。また参拝の様子も様変わりし、かつては拝殿に座りきれないほどの大工さんや木地師、木工関係などの人々がつめかけたものでしたが、今では浅野太鼓のほかに、わずか1、2社を数えるだけになったのも残念なことです。

 午前8時30分から行われた修祓の儀式では、神官によって厳かに感謝の祝詞が捧げられ、巫女舞に続いて玉串奉奠が行われました。良木に恵まれたことへの感謝、良い仕事をさせてもらったことへの感謝、一年間事故もなく操業させていただいたことへの感謝などが、あらためて心に満ちたひと時でした。

 ちなみに白山比咩神社の太鼓は、すべて浅野太鼓謹製。自分たちでつくった太鼓が拝殿で打ち鳴らされ、日々神様にお仕えしていることを思うと、これもまた「感謝」の一語に尽きるのでありました。

山祭り

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2007年12月 7日

和太鼓療育30年、富岳会のパネルディスカッションに参加



 間近に富士山がそびえる静岡県御殿場市で、心身に障害のある人の機能回復やリハビリテーションに和太鼓を取り入れた「和太鼓療育」に30年前から取り組んでいる社会福祉法人富岳会が、12月7日に、和太鼓療育研究発表会とパネルディスカッション「和太鼓療育の可能性を探る」を開催されました。

 『療育』とは「病気を治す」という意味を持つ『療』と、「育てる」という意味の『育』を合わせた言葉で、心や体に障害をもつ人の状況改善に務めるとともに、一人の人間として実社会で生活していくための指導を行うものです。富岳会は、障害児総合保育所や知的障害者施設、介護老人福祉施設など10の福祉施設を運営し、そこを利用するすべての人々の療育に和太鼓を取り入れています。研究発表会では和太鼓療育によって成果をあげた事例が、3つの施設の職員によって発表されました。

 また、パネルディカッションでは、富岳太鼓代表の山内強嗣氏(エイブル富岳園長、写真1)が進行役を務め、富岳会の山内令子理事長を中心に、日本太鼓連盟の塩見和子理事長や、心身障害児総合医療療育センターの長谷川知子医師、東京ミュージックボランティア協会の赤星武彦先生(写真2)が心身療育の現状と課題について意見を述べられ、私もおよばずながら、和太鼓がもつ不思議な力についてお話をさせていただきました。

 和太鼓療育をスタートしたきっかけや、療育の手応えなどを情熱的に話される山内理事長の言葉は深く胸を打つものがあり、30年にわたるご苦労にあらためて頭が下がりました。翌日の8日は施設利用者による和太鼓演奏発表会もあり、和太鼓に関わる立場の人間として、大変感慨深い二日間でした。


(写真 1)


(写真 2)

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2007年12月 1日

師走入り 嬉しい三題噺


 早いもので、もう師走。今年もあっという間にカレンダーの最後の一枚を残すのみとなりました。その師走入りの日の嬉しい話を三つ。

 一つ目は、氏神社での還暦祝い。私の地元では毎年末、五五(25歳)、初老(42歳)、還暦(60歳)にあたる氏子が神社に集い、歳祝いと厄落としのお祓いを受けるのが恒例となっています。今年還暦を迎えた私も参列し、久し振りに同級生の面々と再会して子供時代の思い出話に花を咲かせました。とりわけこの神社はもっぱら私たちの遊び場であり、境内でチャンバラごっこや鬼ごっこをして走り回ったこと、参集殿で馬跳びをして叱られたことなどが、懐かしく思い出されます。そんなふうに子供のころからなじみ深かった神社に、こうして元気で還暦を祝っていただくことの有り難さを、しみじみと嚙み締めたひと時でした。

 二つ目。能登で「天平太鼓」として活躍されている高柳常栄さんが(写真1,2)、一ヶ月後の年明けを控え、正月の神棚に飾る蓬莱紙を届けてくださいました。高柳さんは今年72歳。40代のころから独学で蓬莱紙づくりを習得し、今ではカルチャーセンターで切り絵教室を開くほどの腕前になった人です。小刀で一枚一枚和紙を切り抜いた蓬莱紙には、来年の干支であるネズミと大黒様、「福寿」「家内安全」の文字が描かれています。ことに大黒様の福々しい笑顔はいかにもたくさんの福を運んで来るようで、来年も良い一年になりそうです。高柳さん、ありがとうございました。

 三つ目。毎年末に必ず顔を見せてくれる兵庫の「天元太鼓」の玉田文也さんと今井進さんが、今年も二人そろって来社されました。一年ぶりに膝を交えて四方山話。永年変わることのない温厚なお人柄の二人との語らいは、慌ただしい年の瀬の夕暮れをゆったりと心豊かなものにしてくれました。どうか来年もますますのご活躍を。

 12月1日、土曜日。「人の情け」あってこそ我も生かされているということを、しみじみと実感した一日でした。

高柳常栄さん
(写真 1)

高柳常栄さん
(写真 2)

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