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2008年4月28日

たくさんの思い出をありがとう


 人との別れはいつも切ないものですが、この人との別れには格別のものがありました。享年55歳。戒名「響流院釈泰英」。私利私欲なくつねに地域のために働き、誰にでも「ありがとう」の言葉を忘れず、人情と思いやりの心を何よりも大切にした人。今から6年前、愛媛県津島町(現宇和島市)に納めさせていただいた樹根大太鼓『平安』も、この人の熱意と尽力が人々の心を動かし、町を動かし、浅野太鼓の職人たちの意気込みを燃え上がらせたのでした。

 故人と初めて会ったのは30年ほど前。まだ高速道路網が整備されていない時代、2tの幌つきエルフに3尺の大太鼓を積んで、松任から国道8号線で敦賀に向かい、木之本を経て米原から阪神高速で大阪南港へ。ジャンボフェリーで高松に着き、新居浜、西条、松山、野村町、そしてやっとのことでたどり着いた宇和島の照護寺という寺で私と太鼓を待っていたのが、ご住職とその次男である故人でした。

 1970年代といえば、若者の間では、ロック、エレキギター、長髪が全盛期。故人も大いに若者の特権を謳歌しながらも、一方では地域の太鼓チームの指導や作曲に力を入れ、やがて太鼓で宇和島一帯の地域おこしに大きな役割を果たしました。会うたびに「専務、専務」と慕ってくれた、人なつっこい笑顔を思い出します。

 27日に行われた告別式は、そうした故人の人柄にふさわしい、まことに心にしみいるお別れの会でした。梵鐘と4尺の大太鼓によるしめやかな鎮魂の響き。続々と詰めかけた大勢の参列者を代表して3人の知友が読み上げた弔辞は実に心のこもったものばかりで、その言葉の一つ一つが胸を打ち、我知らず目頭が熱くなるのでした。

 「人生とは何を残したかではなく、どう生きたかである」。この言葉の重みをあらためて嚙みしめつつ、あまりにも早すぎたご逝去を悼み、どうか安らかにと願うばかりです。         
合掌。

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2008年4月22日

二つの「進化」


 去る18日金曜日、国立劇場にて「鬼太鼓座創始者田耕七回忌追悼・鬼太鼓座構想から40周年の道程」として、鬼太鼓座公演『鬼魂一打』が行われました。私がまだ20代のある日、何の前ぶれもなくふらりと現れた田耕氏から「太鼓で世界を回りたい。太鼓一式つくって欲しい」と唐突な言葉を聞いた時から、40年の歳月が過ぎ去ったことになります。その間、激動の道程をたどってきた鬼太鼓座の変遷をつぶさに見てきた私は、一種の感慨をもって国立劇場の客席にすわりました。

 40年という時間の積み重ねを思えば、人も、思いも、目ざすものも、演奏の形も、時の流れとともに変化していくのは当たり前なのかもしれません。その中で、伝統をどう受け継ぎ、新しいものをどう取り入れていくか。「佐渡の國鬼太鼓座」と名のった設立時から数えて第4期にあたる現在の鬼太鼓座の舞台を見ながら、「進化」という言葉の意味を考えさせられたのでした。

 翌19・20日は、昨年10月に東京にオープンした浅野太鼓の東京練習場『響和館』において、島根在住のソロ奏者・今福優氏を講師に迎えた大太鼓のワークショップを開催しました。大太鼓なので、若年層の受講者を予想していたのですが、集まったのは意外に熟年層が多くてびっくり。やはり大太鼓は、老若男女を問わず人気があるようです。意欲まんまんの受講者を前に、今福氏は門下の末長愛さん、堂本英里さんとともに早朝4時に島根出発という強行スケジュールにもかかわらず、打つ・踊る・歌うと、こちらもまたパワー全開。表革から裏革に抜けるような力強い大太鼓と、朗々と響く野太い声がたゆみない修練の跡を感じさせ、ワークショップとはいえども今福氏ならではの熱い世界が繰り広げられました。講師も受講者の皆さんも、ご苦労さまでした。
 ちなみに今福氏は、かつて第2期鬼太鼓座に在籍していました。そこで大太鼓の虜になり、退座後は肉体労働で蓄えた資金で自前の太鼓を調達し、地道に自分の太鼓観を築いてきた人です。派手さはありませんが、真摯に太鼓と向かい合う姿はいかにも男っぷりが良く、「太鼓打ち」という言葉がぴったりの打ち手です。ここでもまた「進化」という言葉が頭をよぎり、はからずも鬼太鼓座40年の歴史をあらためて振り返った三日間でした。

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2008年4月16日

成田山太鼓祭


 4月11日から13日まで、千葉県成田市の成田山新勝寺一帯で、恒例の「成田山太鼓祭」が行われました。今年は第1回の開催から15回目の節目の年、しかも新しい総門のお披露目も兼ねた記念の祭りでもあり、いつにも増して心弾む参加となりました。


 初めて仰ぎ見る新総門(写真1)は、見事な赤ケヤキをふんだんに使い、さすが成田山にふさわしい堂々たる威厳を見せてそびえていました。美しい玉杢が浮かんだ支柱(写真2)は、直径40cmはあろうかという豪壮さ。その上の唐破風の大屋根は心憎いばかりに美しい曲線を描き、スケール、デザイン、重厚さともに、後世に残る立派な門構えです。この素晴らしい空間が今年の太鼓の舞台と思うと、いやがうえにも気が高ぶります。


 11日は総門前のステージで前夜祭。12日・13日は、千葉県を中心に全国から駆けつけた、のべ45の太鼓チームが、境内といわず参道といわず「われこそは」の勢いで太鼓の競演。それを見守る観客もどこから集まったのかと思うほどの大群衆(延べ15万人)で、あたりはまさに祭りの賑わい。ことに13日は朝からあいにくの雨模様にもかかわらず、帽子、手袋、雨ガッパと、防寒防雨スタイルに身を固めた人々が、朝早くから千願太鼓(500人演奏写真3.4))が始まるのを待っていました。その光景を見て、15年にわたって太鼓祭りを継続してこられたスタッフの皆さんの情熱と実績、そして人の心をとらえる太鼓の不思議な力を、あらためて実感しました。いろんな意味で感動を味わった三日間。みなさん、来年もまた成田山でお会いしましょう。

新総門
(写真1)新総門

美しい玉杢が浮かんだ支柱
(写真2)美しい玉杢が浮かんだ支柱

千願太鼓
(写真3)千願太鼓

千願太鼓
(写真4)千願太鼓

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2008年4月 7日

新年度にあたり、気構えを一新

 

 新年度がスタートして1週間がたちました。その一日目、4月1日は、毎月恒例としている月初めの全社朝礼とともに、新入社員の入社式を行いました。


 正直なところ、決して好況とはいえないこの時代、社員を増やすことには迷いもあったのですが、面接の際にとりわけ熱心に職人になりたい意志を語った彼に心を惹かれ、思い切って新規採用することにしたのです。


 式では社長の激励の言葉に続き、新人君も「念願の会社に就職したからには一日も早く一人前の職人になりたい」と、頼もしい挨拶。工業高校を卒業したばかりの初々しい後輩を迎え、先輩の社員たちもどことなく活気づいている様子で、新しい風を入れたことで社内全体の空気にさらにはずみがついたような気がしています。創業400周年を明年に控えた今年、昨年秋に中途採用した二人の事務職員とともに、新人も先輩も心を一つに合わせ、切磋琢磨しながらそれぞれの職分の精進に努め、良い仕事をしていって欲しいものです。


 その五日後の6日は、私事ながら、伊勢の神宮まで足を伸ばしました。昨年60歳の還暦を済ませた後厄払いの参拝で、小学校以来の同級生他15人と連れだってのバス旅行。車内では悪童時代の思い出話に花が咲き、その賑やかなこと。伊勢に着いてからは一転して神妙な気持ちで外宮、内宮、御垣内に参内。神楽殿にて、大和舞にはじまる厳かな神事に頭を垂れつつ、日本の奥深い伝統の重みと、その日本に生まれたことの幸いを、あらためて実感しました。


 はからずも、新年度のスタートという節目の時期に禊ぎを受けたことによって、公私ともに気構えを一新したひと時でした。

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