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2010年10月25日

行って良かった釧路への旅

十七夜の満月 好調なサンマの水揚げで活気づく漁港のかなたに沈む壮大な落日、そして港にはおびただしいカモメの群れ。やがてつるべ落としの秋の陽に代わって夕空に白く輝くのは十七夜の月。秋の旅は私のような無粋な者もしばし詩人にしてくれるようです。釧路港
 写真は夕暮れの釧路港。24日、「釧路太平洋太鼓」の40周年記念コンサートにお邪魔した際、45年前にフェリーで上陸した釧路の港に立ち寄った時の光景です。初めての北海道で、 ろくに営業の挨拶も知らない若僧の私が、緊張しながらお客さん回りをしたことを思い出します。

 港から向かったコンサート会場は釧路市民会館。1500席の大ホールはほぼ満席で、2時間10分にわたる舞台はどの曲も創意工夫が凝らされた力演。73歳になられた今もお元気で現役として活躍されている前会長の及川さんをはじめ、メンバーの皆さんが40年という長い歳月の間に重ねた努力の跡を感じ、「来て良かった」とつくづく思いました。
太平洋太鼓のみなさん中央が及川さん
(太平洋太鼓のみなさん中央が及川さん)

 公演後は日本太鼓の照井好則さんにお誘いをいただき、近くの居酒屋で太鼓談義。しんと冷えてきた北国の秋の夜の、心あたたまるひと時でした。

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2010年10月21日

秋の日本列島を東へ西へ

 東日本に秋雨前線が接近し、近畿から関東・東北が激しい雨に見舞われた10日、その雨のまっただ中に位置する千葉県へ祭礼用の曳台の納品に。お邪魔したのは四街道市桜区。区長さんをはじめ、どなたも人当たりの穏やかな皆さんに迎えられ、その中に隣県富山のご出身という人もおられ、なにやかやとお気遣いをいただきながら気持ちよく納品させていただきました。

 その足で向かったのは、栃木県で活動する喜連川「公方太鼓」の結成10周年記念コンサート。足利氏の流れをくむ喜連川地区の歴史と伝統を創作太鼓で表現しようと発足したこの団体は、旧黒羽町出身の和太鼓作曲家で、昨年5月に亡くなった藤田正典さんから指導を受けて成長しました。子供チーム「公方太鼓さくら」も加え、全員がこの日のために稽古を重ねてきた曲は、どれも目を閉じて聴けるような安心感のある調べ。実に心あたたまる演奏会でした。
公方太鼓

川田公子さん舞台活動40周年記念パーティー その週末は、女流太鼓の草分け、川田公子さんの舞台活動40周年を記念して出版された本の披露パーティー。川田さんといえば、さまざまな文学作品を太鼓で表現し、独自の世界を築き上げた人です。その40年にわたる歴史を綴った本が「はずむ 心のままに」で、パーティー会場には各界の著名人もたくさん顔をみせていました。川田さん、どうかこれからもますますのご活躍を。

 翌17日は岐阜県瑞穂市で「平成22年度岐阜県高等学校総合文化祭 民俗芸能発表会」。岐阜県下の高校7校の太鼓部が参加した舞台はいずれ劣らぬ熱演が繰り広げられ、各校の個性が際立った素晴らしい大会となりました。皆さん、本当にお疲れ様でした。
平成22年度岐阜県高等学校総合文化祭 民俗芸能発表会
木島平村
 閉会式が終わった午後4時、今度は中央高速道を一路長野県へ。目的地のは、高校生までの女子で構成される「鬼島太鼓」の拠点。その木島平村が今年村制50周年、そして鬼島太鼓が結成25周年ということで、鬼島太鼓の祝賀パーティーにお招きをいただいたのでした。村長さんはじめ、チームOG、保護者の皆さん、村出身の応援団などが一堂に会した会場は保護者の皆さんによる手料理が並べられ、凛々しい演奏姿とは一転したなごやかな雰囲気。メンバーに「鬼」とも「父」とも慕われながら25年にわたってチームを率いてきた小林春彦さんもこの日ばかりは満面の笑顔で、今後の抱負を熱く語っていました。今では木島平村の大きな財産となった鬼島太鼓の、これからのさらなる飛躍を願ったひと時でした。

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2010年10月 4日

10月2日、二つの祝賀の宴


 ようやく秋らしい爽やかな風が立ち始めた2日、能登半島・輪島の「御陣乗太鼓保存会」が、結成50周年を迎えました。
 天正年間、上杉謙信の軍勢が輪島に攻め入った際、奇怪な鬼面をつけた名舟地区の村人が激しく太鼓をたたいて追い払ったという伝説に基づいて保存会を結成したのが1960年。日本の太鼓団体として初めてイスラエルからギリシャ、イギリス、イタリア、アメリカなど海外7カ国の公演を行ったのが1963年。この年、太鼓団体としては初めて県の無形文化財指定。松竹歌劇団「春のおどり〜御陣乗太鼓」上演。翌1964年に勅使河原宏監督の映画「砂の女」に出演。そして同年の東京オリンピック関連行事「芸能展示」と1970年の大阪万博への出演。このように結成直後からめざましい活躍ぶりで、太鼓も消耗が速く、代表の池田庄作さんが背中に太鼓を背負い、能登から電車を乗り継いでたびたび革の張り替えに来られたことを思い出します。
 現在、御陣乗太鼓は北岡周二さんを代表とする第二世代に受け継がれていますが、能登屈指の芸能として相変わらずの活躍を続けています。この50年、輝かしい歴史をつくってきたものは、気迫に満ちた7種類の面の威力もさることながら、保存会の皆さんのたゆまぬ芸の積み重ねがあったからでしょう。地域に伝承されてきた芸をただ守るだけでなく、絶えず進化させてきた結果が50周年の祝典に結びついたのだと私は思っています。保存会の皆さん、本当におめでとうございます。後継者の問題など課題はあるでしょうが、いつまでも能登半島の先端に力強い太鼓が鳴り響くことを願っています。

 同じ日、東京では、これも地域に伝承された太鼓の打ち手が、新たな人生の門出を迎えました。三宅島に伝わる三宅太鼓を「三宅島芸能同志会」として父子4人で普及・啓蒙している津村明男さんのご長男、和宏君の結婚式です。披露宴には太鼓関係者も多く招かれ、なごやかな雰囲気のうちに進行。満面の笑みをたたえる花婿は、同時に次の世代を担う太鼓界の後継者の一人でもあり、幸せな家庭を築かれるとともに、ますます芸に磨きをかけて素晴らしい舞台を重ねていかれることを願わずにはいられませんでした。良き伴侶を得られ、どうか大きく羽ばたかれるよう楽しみにしています。

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