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2008年3月31日

3月31日の朝


 早朝、昨年から入院生活を送っている叔父さんのお見舞いに行ってきました。亡父の弟で、今年87歳。当直の看護士さんに時間外の面会をとがめられながらそっと病室のドアを開けると、叔父は思いのほかに元気そうな目覚めの笑顔で迎えてくれました。そして「今日は3月31日か」とつぶやくと、問わず語りに大戦に応召した時のことを語りはじめたのです。

 ご近所・親戚の見送りをうけて福留から敦賀を経て舞鶴港に向かった、あの日の朝。それが昭和20年の3月31日だったと言うのです。何ごとにも几帳面で、私がとうに忘れたことでもすらすらと記憶をひも解く叔父でしたが、目覚めた瞬間に63年前の朝を思い出すとは、弱冠24歳にして明日の命をも知れぬ戦地へ向かう叔父の心境はどのようなものだったのでしょう。

 否応なしに戦争という大きな歴史の波に飲み込まれた多くの人々の心情を思うとともに、父亡き今、せっかく生きて還った命を一日でも長らえて欲しいと願った3月31日の朝でした。

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2008年3月30日

太鼓の里資料館が異空間になった(?)ライブ


 3月29日土曜日、午後7時30分から、太鼓の里資料館で「音百景-音が湧き人躍る-」と題するライブが開かれました。太鼓製作現場で革工程に携わっている若い職人が企画・プロデュースしたイベントで、どんな音楽を聴かせてくれるのか、私もわくわくしながら開演を待ちました。

 7時過ぎ、テイクアウトの屋台も準備がととのったころ、普段の太鼓の里資料館では見かけない雰囲気の若者たちが続々と集まってきました。毛糸の帽子に口ひげ、大きな指輪をはめたお兄さん。アフリカンヘアで、鼻にピアスのお姉さん。エスニックなワンピースに、スウェードのブーツのお姉さん。それから、それから......。ともかく雑誌やテレビでしか見たことのないような、今風で、個性的で、開放的な若者が、観客として、あるいは裏方さんとして、次々とステージの周囲を埋めていきます。まるで外国のバザールにでも迷い込んだような、不思議な光景でした。

 そして開演。島唄のような民謡ソロ、ジャンベと太鼓を伴奏にした躍動的なアフリカンダンス、アコースティクギターバンド、魅惑的なベリーダンスと国際色豊かなステージが続き、ふと気がつけば館内は立錐の余地もないほどの超満員。もちろん和太鼓演奏も登場し、やんやの喝采をいただきました。

 思えば1988年の資料館開館当初は、猿回しや神楽、ジャンベのライブなどを定期的に開催したものです。近年は年に一、二度の開催にとどまっていましたが、これを機会にまたたくさんの人が来てくれるような企画を行っていきたいと、新たな活力が湧いてきました。

 終演後の11時過ぎ、塵一つ残さずに後片付けを済ませ、帰り際には一列に並んできちんと挨拶をして帰った裏方さんたち。本当にお疲れ様でした。そして新鮮な風をありがとう。

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2008年3月24日

第10回日本太鼓ジュニアコンクール


 3月23日日曜日、石川県の松任総合運動公園体育館で、財団法人日本太鼓連盟の主催による「第10回日本太鼓ジュニアコンクール」が行われました。出場したのは全国32の都道府県予選で出場権を獲得した43団体とブラジルの1団体の合わせて44団体。出場された皆さん、そして舞台裏で走り回ったスタッフの皆さん、本当にご苦労さまでした。

 このコンクールは、「礼節・衣装」「構え・打法」「演奏技術」「音楽表現」「チームワーク」の5項目によって審査されます。今年の予選には全国から340以上の団体が出場したそうで、その中から選び抜かれた精鋭が互いに競い合う舞台はそれぞれに見応え・聴き応えがあり、青少年の太鼓が確実に実力レベルを上げていることを強く実感させられました。ことに優勝の栄誉に輝いた宮崎県の「橘太鼓「響座」ジュニア」の見事な演奏ぶりには、目を見張るものがありました。技術的にはもちろん、視覚的、音楽的にも工夫が凝らされ、大太鼓もしっかりと音を紡ぎ、まさに「圧勝」と言えるものでした。

 これから太鼓文化を将来に伝えていく上で、太鼓の魅力をどう表現し、どう受け入れられていくかは時代とともに変化していくことでしょうが、ジュニアの太鼓ならではのみずみずしさとひたむきは、プロの太鼓奏者もおよばないジュニアだけの特権として、ずっと失われないでいて欲しいものです。そしてジュニアの太鼓といえども、魂のこもった凜とした空気感と、表革から裏革に打ち抜くような鋭い打ち込みがあってこそ、人は太鼓に感動の涙を流すということを、肝に銘じておいて欲しいものです。

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2008年3月21日

倉敷の太鼓、赤穂の太鼓


 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもの。今年の春のお彼岸はまさしくその言葉を証明するように寒さがゆるみ、彼岸の中日である春分の日は、全国的におだやかな日和に恵まれました。春の入り口とも言えるその日、こちらも「青春」という春のまっただ中にいる若き太鼓打ち、山部泰嗣君の「山部泰嗣コンサート」が倉敷市で行われました。ゲストは津軽三味線の木乃下真市氏。二人の一騎打ちとも言える真剣なせめぎ合いの舞台は、見る者に息もつかせぬ迫力があり、木乃下氏の胸を借りてまた一回り大きくなった山部君の確かな成長ぶりを感じさせました。6歳の時からバチを握って13年、今や倉敷天領太鼓の一枚看板としてソロコンサートの開催にまでこぎ着けた山部君のこれからがとても楽しみです。

 今回の旅では、なまこ壁や柳の影を映す堀割りが旅情を誘う倉敷の街を散策しながら会場に向かい、帰路には共演させていただいた緑光の楽器を積んだ3tトラックを運転しながら山陽道の風景を眺めてきました。その道中、赤穂ICの付近でみつけたのが「討ち入りの太鼓の音」という標識。「?」と思った時にはすでに通り過ぎて標識の意味するところがわからぬままに道を進めましたが、あのあたりで太鼓の音が聞こえるのでしょうか。今度、山陽方面に迎え時には、必ず確認したいと思っています。

 ともあれ、赤穂で「討ち入りの太鼓」と言えば、赤穂浪士吉良邸討ち入りの際に鳴らしたという山鹿流の陣太鼓。山鹿流は、江戸時代の兵学者・山鹿素行の編み出した兵学で、討ち入りの太鼓は俗に「一打ち、二打ち、三流れ」、また「十二陰陽、五鼓、切り返し」を極意とするとも言われます。その太鼓を「かかれ!」の合図に四十七士が吉良邸になだれ込み、とは後に創作された物語で、実際には陣太鼓は打たれなかったようですが、四十七士が本懐を遂げるために勇み立つ心を鼓舞するには、太鼓の音はいかにも似つかわしい大道具ですね。

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2008年3月19日

仰げば尊し、富士の山


 3月16日の日曜日、静岡県御殿場市で開催された「富岳太鼓リサイタル2008」にお邪魔しました。例のごとく早朝に北陸自動車道を出発。名神、東名と北上すると、ちょうど富士川のあたりで銀嶺の富士山が悠然と姿を現しました。はるかいにしえから日本の象徴として、日本人の誇りのシンボルとして、幾多の人々に仰ぎ見られてきた富士山(写真1)。その見事な眺めは、何度見上げても厳かな気持ちにさせられます。

 富士山に伴走する形で到着した御殿場市民会館。15年前から毎年春の恒例行事となっているリサイタルでは、心身に障害のある人々を含めた210人のメンバーが心を一つにして2時間あまりの舞台を全うしました。満席の観客からの割れんばかりの拍手を耳にし、継続することの偉大さと、障害のある人々に根気よく太鼓指導を行い続けている富岳太鼓代表の山内強嗣さんはじめスタッフの皆さんのご苦労に、あらためて深い尊敬の念を抱いたリサイタルでした。

 帰路は、御殿場IC近くの「虎屋」に寄り道。虎屋の羊羹は私の好物の一つですが、それよりも老舗の趣がただよう店のたたずまいや、道を隔てて向かい合う神社との相性が実に美しく、引き寄せられるように車を駐めたのでした。ちょうど「四季の富士」と名づけた新しい羊羹ができたとのこと。これから少しの間、濃いめにいれた緑茶の友として、私になごみのひと時を運んでくれそうです。

富士山
(写真1)富士山

リサイタル
(写真2)リサイタル

リサイタル
(写真3)リサイタル

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2008年3月13日

二度の海峡越え


 今週は9日と11日、瀬戸大橋と明石海峡大橋を渡り、二度にわたって瀬戸内の海峡を越えました。9日は香川県まんのう町の「讃岐満濃太鼓」の20周年記念コンサート。あえてキャパシティの大きな丸亀市文化会館大ホールを会場に選び、ほぼ満席の中で約2時間半。附締太鼓の掛け合いが小気味良い曲「鼓宴」に始まり、七・七・七・五調のリズムが豊かな曲想を紡ぐ曲、勇猛果敢な雄叫びを思わせる曲など、20周年という節目を迎えた喜びを全身で舞台にぶつける若いメンバー、そして脇を固める創立以来のメンバー、それぞれが守備位置をしっかりわきまえ、26人の気持ちが一体となった心あたたまるコンサートでした。

 丸亀といえば、今から30年ほど前、ここで初めて「倉敷天領太鼓」の演奏を聴いた時のことを思い出します。燃え上がるように豪快な男の太鼓に「こんな演奏もあるのか」と、度肝を抜かれたものでした。また今は亡き福井の玉村武さんが最大径7尺5寸の大太鼓「大和」を演奏したのもその同じ舞台。玉村さんは「越前権兵衛太鼓」の三ツ打の名手として知られ、70歳を過ぎてからも「不老太鼓」として国立劇場の「日本の太鼓」の舞台にも立った人です。惜しくも昨年彼岸に旅立たれましたが、今もきっと彼の国で太鼓三昧を楽しんでいることでしょう。

 その玉村さんに太鼓の手ほどきを受けたのが、炎太鼓の地下朱美。9日の旅は、その地下と、たいころじい編集長の小野との3人連れで、往路は早朝に北陸自動車道を出発。名神、中国、山陽道を経て瀬戸大橋を渡って香川入り。復路は香川から徳島に入って本州四国連絡道で鳴門海峡の渦潮を眺め、淡路島から明石海峡大橋を渡って名神、北陸道というコース。毎日顔を合わせながらも、この3人で旅をしたのは初めてのこと。ちょっとした「弥次喜多道中」もまた楽しからずや、といった旅でした。

 一日置いて11日は、新居浜での仏事に。今度は鉄路を北陸線、山陽新幹線、予讃線(写真2)を乗り継いで愛媛県入り。瀬戸大橋を電車で渡るのは何年ぶりか。帰路は折しも真っ赤な夕焼け空の下。シャッターチャンス!とばかりに夕日を浴びた小船をキャッチ(写真1)。我ながら、なかなかの出来栄えの写真が撮れたので、ぜひご覧ください。

明石大橋
(写真1)明石大橋

予備線
(写真2)予備線

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2008年3月 4日

「ほっ」と「ひやり」、島根への旅


 3月2日、島根県益田市の島根県立芸術文化センターグラントワで、今福優さんの太鼓コンサート「日本海幻想」が行われました。炎太鼓もゲストとして出演させていただいたのですが、会場となったホールの素晴らしいこと。平成17年10月にオープンしたばかりとのことで、島根県最大のゆったりと広い舞台といい、客席のどこで聴いても均一・ストレートに音が伝わる音響といい、これまで多くの施設を見てきた私も感動するほど完成度の高いホールでした。

 そしてまた、このホール環境を最大限に生かした今福さんの演奏も素晴らしいものでした。島根県の出身で今年50歳を迎えた今福さんは、ただ一筋に太鼓に惚れ込み、「打つ」「歌う」「舞う」の三拍子の芸を、地道に、着実に追究してきた貴重な奏者です。派手さはありませんが、聴く者の心をあたたかく包む独特の雰囲気があり、この日も今福さんの世界を充分に表現されました。20年ほど前、「太鼓と結婚するつもりで」と、力仕事で蓄えた全財産を持って大太鼓セットを買いに来た時のことが今も昨日のことのように思い出されます。

 一方、この心あたたまるコンサートとはうらはらに、今回の旅ではひやりとする体験もさせられました。島根へは楽器を積んだ専用バスで向かったのですが、途中、トルコンの油漏れが発生し、修理のために数時間の足止めを余儀なくされてしまいました。聞けば、冬場の高速道路では路面凍結防止のために塩化ナトリウムを撒布することから、知らず知らずの間に車体腹部の金属腐食が進み、急速に加速して圧が高まると油漏れを起こす場合もあるとのこと。幸い公演に支障をきたすこともなく無事に帰還しましたが、皆さんもどうかご注意を。

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