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2011年2月28日

駆け足で過ぎた2月、しめくくり

 昨27日は、10年前に亡くなった母の命日でした。その日、折悪しく私は所用で上京中でしたが、最期を看取った義姉によれば、玄関先で靴を脱ごうと前屈みの姿勢になったところで、何の苦しみもなく、すうっと眠るように旅立ったとのことでした。いつも自分のことは後回しに、「人に迷惑をかけることだけはするな」と私たち兄弟に口癖のように言っていた母の、本当に誰にも迷惑をかけない臨終でした。母からの小言はほかにもたくさんありましたが、今もって不徳ばかりの私を、きっと天国から「あきのダラが」とあきれ顔で見下ろしていることでしょう。

(PDF:723KB)
 さて、その前日26日は、浅野太鼓の東京支店兼練習場である「太鼓の里 響和館」が主催する「響和祭」がありました。会場は目黒区の区立ホールで、響和館でおこなっている23講座の太鼓教室で学ぶ皆さんが、日ごろの練習の成果を力いっぱいの演奏で聴かせてくれました。年に一度の晴れ舞台に上ったのは、3歳のキッズから81歳の元気シルバーまでの約200名。中には73歳で脳幹梗塞を患ったものの、2年前から始めた太鼓のお陰で今は動脈瘤もなくなり元気はつらつの81歳の「哲っちゃん」こと川島哲也さんや、先月入門したばかりの超ホヤホヤの初心者などもおられ、それぞれの人生模様が垣間見えるアットホームな発表会でした。出演された皆さん、スタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。

 朝一番の飛行機で帰社した27日は、埼玉から「枇魅鼓」さんご一行、東京から「はせみきた&かりん」さんが訪ねてくださり、夜ははせさんたちのライブへ。またまた慌ただしくも、いろいろな意味で心和んだ3日間でした。
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2011年2月21日

太鼓がつなぐ嬉しい旅、倉敷から東京へ

 結婚式というのは、何度出席してもそれぞれに感慨深いものですね。一昨日の19日、倉敷の山部泰嗣君と、我が社で3年余り事務職と太鼓教室の講師、さらに演奏者も兼務していた岡崎寿沙さんが結婚されました。110222.jpg

 倉敷市でおこなわれた披露宴には全国からかけつけたおよそ150名の招待客が臨席され、会場には新郎新婦が並ぶ雛壇のほかに大きな舞台も設けられて、「ゆふいん源流太鼓」や「三宅島芸能同志会」、今福優さん、「鼓童」の藤本吉利さん、そして寿沙さんが所属していた「緑光」など、招待客の皆さんによって次々にお祝いの太鼓が打たれました。私は新婦のお色直しのあとの再入場の際に父親代わりの介添え役として、新婦の手をとりながらスポットライトの中を歩くという大役を務めさせていただきました。いやはや、実の娘とも腕を組んで歩くなどしたことがないのに、照れくさい限りでしたが、お陰様で私にとっても一生心に残る披露宴となりました。泰嗣君、寿沙さん、どうか末永くお幸せに。

 同じ日、静岡県の御殿場市では、社会福祉法人富岳会の理事長、山内令子さんの叙勲の祝賀会が開かれました。富岳会は心身に障害を持つ人を中心とした10の福祉施設を運営し、山内理事長は今から34年に日本で初めて障害者の機能訓練や精神的ケアに太鼓を取り入れられた偉大な先駆者です。その長い実績と功績が讃えられ、昨年の秋に瑞宝双光章を受章されたのでした。本当におめでとうございました。これからもますますお元気でご活躍されますよう祈っております。
 続く20日、東京蒲田を拠点に「荏原流れ太鼓」として太鼓演奏と指導を進めている「ひびき会」の新年会が催されました。会場には宗家湯澤孝一郎主宰の門下ほか約100名が集い、和気あいあいのうちに各自の新年の決意が語られました。若い皆さんの頼もしい熱気に元気をもらい、楽しいひと時。今年のいっそうの飛躍を楽しみにしています!

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2011年2月 9日

長友選手と和太鼓

 今話題のスポーツ選手といえば、なんといっても野球の斎藤佑樹投手とサッカーの長友佑都選手でしょう(今気づきましたが、二人とも「佑」の文字が同じ!)。
斎藤選手は日本ハムファイーズに入団早々1軍扱いで、キャンプ地の沖縄には連日斎藤選手目当ての大勢のファンが詰めかけている様子。一方の長友選手はイタリアの名門インテル・ミラノに移籍し、わずか3日後にイタリア1部リーグのローマ戦でデビューしてレオナルド監督から高い評価を受けたことは皆さんもご存知のことと思います。

 その長友選手に関して、嬉しい記事を日本経済新聞スポーツ欄に発見。見出しは「太鼓の達人の立身出世」。

日本経済新聞
日本経済新聞より
記事によれば、明治大学に入学直後は故障が多くてレギュラーどころかベンチにも入れなかった長友選手。スタンド席に回って太鼓を叩いて応援していたが、そのリズムがあまりにも力強く歯切れが良かったために、またたくまにサッカー場の名物になったとか。
 また日本代表時代は人一倍熱心に体幹トレーニングと骨盤を立てることにトライし、スポーツにおいて重要な骨盤を起こす「白樺のポーズ」(両足のかかとをつけたまま、つま先を外に開いて立つ)が最初からできたとのこと。不思議に思った岡田監督がたずねたところ、長友選手は子供のころから和太鼓を習っていたことを告げ、旧知の和太鼓奏者から「和太鼓も骨盤を立たせないと叩けない。そこが一番鍛えられるところ」と説明を受けて納得したそうです。

 なんと、ちょっと大げさに言えば、和太鼓の効用が世界に通じる長友選手を生み出した! そう考えると、本当にわくわくしますね。できることなら私も太鼓をかついでイタリアまで応援に行きたい心境です。長友選手がんばれ!!

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