2023年1月25日
明神先生と一響館の末永いご発展を願って
去る21日土曜日、高知市の土佐和太鼓文化研究所「一響館」が主催する太鼓でコミュニティ合同学習・発表会(第16回)にお招きをいただきました。稽古のあとに5チームの発表会と模範演奏があり、今から15〜16年前の第1回の時に小学生だった参加者が、今は28歳の素敵な女性となって企画・演奏と、立派に成長した姿を見せてくれました。ほかにも自然な所作で太鼓に向かう子供たちの姿に胸を打たれ、これからも一響館の発展を願わずにはいられませんでした。
その一響館の主宰者である明神宏和先生は、御年、なんと96歳。この日もお元気で矍鑠と講話をされ、はつらつとしたお姿に驚くばかり。実は私もこの日76歳を迎えた身ですが、20歳も年上の先生の元気にあやかれるよう、これからも頑張ろうと、勇気づけられた一日でした。

ちなみに、高知へは愛車で往復。明石海峡大橋のたもとで迎えた21日朝の日の出は神々しいばかりの美しさ。このような晴れ晴れとした日に誕生日を迎えられたことが有り難く、おもわず感謝の合掌。(写真右: 淡路島で日の出を拝む)

なお、誕生日にあたり、メールなどでお祝いのメッセージをくださったたくさんの皆さん、どうもありがとうございました。引き続き精進してまいりますので、よろしくお願いいたします。
2023年1月14日
2023年年頭 本年もどうぞよろしくお願いいたします
謹賀新年
新しい一年が始まりました。今年の干支は兎で、飛躍や跳躍が叶う縁起の良い年といわれています。願わくばぜひそうありたいものですが、人生、生きている限り憂いや悩みはつきもの。しかしどんな困難に対峙しても、決してひるまず、眦を決して果敢にこの一年を生きていきたいものです。
どうか引き続き、皆様のご指導とご愛顧をよろしくお願い申し上げます。
2022年12月28日
行く年来る年、来る年に新たな希望を!

2022年も残すところあと三日となりました。振り返ればあれこれと多難な一年でしたが、周囲の皆さんの助けもいただきながら、なんとか乗り切ることができました。ありがとうございました。
さて、この一年、次第にwithコロナの風潮が浸透し、各地でぼちぼちと太鼓コンサートが再開されるようになりました。私もいくつかの会場に足を運んで久し振りの音響にワクワクしつつ、コロナ以前にくらべて若い打ち手の皆さんがいろんな仕掛けを演奏の中に取り入れていることを実感しました。それは洋楽的なリズムであったり、メロディー楽器の多用であったり、振り付けの斬新さであったりと、要素はいろいろありますが、どうも太鼓が主役でなくなり、「音楽の中の一つの楽器」という位置づけになろうとしているような・・・。
そんな思いが、新しい年の中でどんな風景を見せてくれるか、とにかく楽しみに期待することにしましょう。

そしてこの一年、何よりも嬉しかったのは、林英哲さんの二つの受章! 「福岡アジア文化賞」の大賞と、秋の叙勲による「旭日小綬章」。去る22日、福岡市で行われた福岡アジア文化賞の受賞式には秋篠宮殿下ご夫妻もご来臨され、会場の一隅に列席させていただいた私も感無量。英哲さんの栄誉を心から祝福するとともに、太鼓の文化が広く世界に認められた事実に胸を熱くしました。こうした慶事に触発され、来る年には英哲さんに続く若い奏者の出現を期待するばかりです。
皆さんもどうか佳い年末年始を過ごされ、来る年に幸多かれと祈念しています。
2022年12月 2日
加藤拓三さん、ガンバレ!
今日から師走。ここ白山の麓も今朝は朝からどんよりと曇り、今にも霙が落ちてきそうな気配。そんな中、嬉しいラインニースの到来。岐阜県恵那市を拠点にしていた加藤拓三さんが、10月に子供たちとお母さんも含めた家族5人で渡米。永住権を得て、アメリカ全土50州1000カ所で演奏することを目標に現地での活動のようすです。
日本でもそうだったように、上手に人と人をつなぎ、演奏場所と宿泊所をみつけ、太鼓を仲立ちに現地の人とコミュニケーションを重ねる姿は、きっと三人の子供たちにも良い影響を及ぼすと予想。世界中に太鼓奏者はたくさんいるが、このようなアグレッシブな人物もいることが嬉しく、遠く白山麓の地より静かに見守っていこうと思います。
2022年11月 9日
オセアニア太鼓会議のこと、そして悲しいお知らせと嬉しいお知らせ

10月24日から11月1日までの日程で、オーストラリアのメルボルンで、オセアニア地域で初めての「オーストラリア&ニュージーランド太鼓カンファレンス2022」が開催されました。日本からはゲストとして鼓童の斉藤栄一さん、焱太鼓の浅野町子、そして私もカンファレンスを共同で主催するメルボルンの非営利団体Taikokoro の綱澤綾子さんのお世話で、太鼓の歴史や構造に関する講話と革張りのデモンストレーションの機会をいただきました。現地の人々と親しく交流して感じたのは、オセアニアの地に確実に和太鼓が根づいていること。それは綱澤さんたち先駆者の努力にほかならず、あらためて頭のさがる思い。革の浸水加工など準備期間も含めて1週間の滞在は、大変充実した日々。綱澤さんご夫婦、ありがとうございました。

その間、日本からは思いがけない悲報。およそ40年にわたり公私ともに教えをいただいた日本総合音楽研究の会長畠山國彦さんが逝去されたとのこと。世はまさにマーチング全盛の1980年代初頭、あえて日本太鼓を広めたいと、幼児用の平胴や桶胴を開発し、注文をたくさんくださった畠山会長のご英断に驚きつつ、以後も豪放磊落、明朗闊達なお人柄に強く惹かれ、海外への旅にも同行させていただいたことなど、懐かしい思い出の数々。会長の先見の明により、台湾、日本国内に、今となれば確実に太鼓の裾野は広がり、太鼓界にとってはまさに功労者。その大きな背中を思いつつ、帰国後、ただちにご焼香へ。師を失った寂しさは募りますが、96年の生涯を見事に全うされた会長に、心からのねぎらいの言葉を捧げたひと時でした。 (写真上: 故畠山國彦さん中国 西安にて)

2022年10月22日
ついに大沢勉さんとの約束を果たす
去る16日、滋賀県米原市の伊吹薬草の里文化センターで、当財団所属の焱太鼓と、鼓童メンバーによる太鼓コンサート「祭・息づく太鼓」が開催されました。かねてより焱太鼓を熱心に応援くださっていた公益財団法人びわ湖芸術文化財団の元理事・大沢さんが、一度はご当地で開催したいと熱望されていたコンサートでしたが、その大沢さんは残念ながら今年4月にご逝去。はからずも、追悼コンサートとなってしまいましたが、会場のあちこちから「大沢さんにも見せたかった」の声が聞こえ、本当にたくさんの人々に慕われていた大沢さんのお人柄があらためて胸にせまりました。
大沢さん、ようやく実現できました。このうえは、どうかやすらかにおやすみください。
帰途、伊吹山山麓の神社で、奉納神楽に遭遇。道行きの太鼓のリズムはなんとものどかで心打たれ、近年の太鼓のせわしないリズムのむなしさが思われます。コロナ禍により多くのことがらの価値観が変化してきた今、太鼓の世界もこのあたりで「温故知新」してみてもよいのでは?
さて、24日、オーストラリアで開催される「オセアニア太鼓カンファレンス」に出発します。私の任務は太鼓の文化についての講演と、革張りのワークショップ指導。現地のさらなる太鼓文化の発展を願い、頑張ってきます!
2022年8月18日
しばし酷暑を忘れて
去る9日、鹿児島県霧島市の「天孫降臨霧島九面太鼓保存会」創始者であり名誉会長だった脇元勝巳さんが、81歳で逝去されました。保存会設立から50年、11日の通夜、12日の葬儀ともに脇元さんをしのぶ多くの人が参列され、あらためて脇元さんの功績の大きさを目にした思いでした。

私が初めてお会いしたのは昭和53年、霧島に伝わる天孫降臨神話などを元に太鼓で郷土芸能を立ち上げ、いつ、いかなる時も「九面太鼓」の文字を大きく刻んだ5尺の大太鼓で霧島をアピールされていた姿は忘れられません。そうした努力の甲斐あり、保存会がいち早く霧島市の無形文化財に指定されたのは、やはり先見の明を持ち合わせていたからでしょう。もちろん音づくりにもこだわり、革張りの際には細かい注文をいただいたり、太鼓界で初めて4トントラックを改造して舞台をつくって驚かされたりと、誰にも先がけて九州に太鼓文化の礎を築かれた人でした。近年は体調が思わしくなくお目にかかる機会も少なくなっていましたが、脇元さんのご逝去は、まさに「霧島の巨星落つ」で、「残念」のひと言。今はただ残されたものの大きさを讃えつつ、心よりご冥福をお祈りするばかりです。
一日置いて、14日は岐阜羽島で秀明太鼓のコンサート。日ごろより指導されているのは人間国宝で笛奏者の藤舎名生先生。この日も作曲・演出・構成を一手に手がけられた舞台は、宇宙と人間とのかかわりまでも彷彿とさせるような壮大な響き。最後の曲が終わり、緞帳が下りたあともじわじわと心にしみるような余韻を感じ、世の中にさまざまな主義・趣向の太鼓がある中で、「これぞ大人の太鼓」と思わせる舞台でした。皆さん、お疲れ様でした。
2022年8月 4日
エクスタジアで、あらためて太鼓の奥深さに新鮮な感
今年の「白山国際太鼓エクスタジア2022」を終えて2週間。実施直後の胸の高まりが鎮まり、ようやく客観的にステージを振り返ることができる今日このごろ、今またあらためて太鼓の面白さを実感しているところです。
今回は二部構成の第一部に「林英哲コンサート」、第二部に「千響繚乱」として県内外の6団体が競演するというプログラム。英哲コンサートはいわずもがな、ますます芸に深みが感じられる演目「澪の蓮」は、まさに「ぐうの音」も出ない見事さ。先般、アジアにおける著名な活動をした文化人に贈られる、大変権威のある「福岡アジア文化賞」の、しかも「大賞」を受賞されたことがいかにも納得できる無二の舞台。第二部では、地元の青少年チーム「和太鼓サスケ」に続き、隣接する川北町の「手取亢龍若鮎組」ともに、一心に太鼓に向かうこどもたちのひたむきさに胸を熱くし、さらに能登の「鵜浦豊年太鼓」、手許の「焱太鼓ユニット」、そして福井県越前町の「OTAIKO座明神」、父子4人で絶妙の技のコンビネーションを見せた「三宅島芸能同志会」まで、それぞれの個性豊かな芸にどっぷりとひたった90分。中でも海の神と山の神に一年の豊穣の祈りと感謝を捧げた祭り太鼓の、底抜けの陽気さと力強さ、人間臭さのあふれた太鼓は新鮮で、まだまだ各地に面白い芸が眠っていることを見せつけられた一幕でした。
明年のエクスタジアは、石川県が会場となる第38回国民文化祭「いしかわ百万石文化祭2023」における白山市のシンボル事業として、11月5日に開催します。また新しい切り口から太鼓をお見せできるよう工夫していきますので、ぜひお越しくださるようお待ちしています。
2022年7月21日
「老齢の青春」に励まされ

代表の飛鳥大五郎さんは、今年古希を迎えられ、現在の心境を「老齢の青春」と表現されています。このコロナ禍をチャンスととらえ、3年の間、作曲はもちろん、舞台構成や衣裳のアイデアなどの研究を重ね、やがてくるコロナのない時代に新たな舞台をつくっていこうという意気込み。相変わらずの前向きな姿勢にふれ、私もここは「ふんどしを締め直して」頑張らねばと、元気づけられた出来事でした。
2022年7月 2日
完全な太鼓の埴輪が出土のニューㇲをみて
まず、驚いたのは、西暦500年代の古墳時代に太鼓の鋲が打ってあった事、鉄文化の渡来と太鼓の鋲の技術の進化に驚きました。鉄鉱石の熔解温度は1200度。鉄鉱石を見つける眼力、石炭の発見 炭の製作等々、、熔解点の1200度に達するには、石炭→コークス,炭クヌギ 炭コナラ等を使っての熔解、設備には「炉」が必要と思われる。
太鼓の鋲の型をするには彫金の技術と太鼓鋲の傘と釘をろう付する知識と技術等が完成されていた。弥生時代の銅鐸にも溶接の跡がみられる。
中国の「三星堆積遺跡」から大量の青銅器遺跡が見つかっており、紀元前2500年前に溶接が用いられた。母材と母材の間に溶かした溶加材を流し込む鋳掛けという方法とみられる。太鼓鋲製作に鋳掛けが使用されていたと思われる。この当時は高度な最先端の技術でおそらく高貴な方の品だと推測されます。革について、なめし技術は4世紀頃に百済の工人が渡来して教えたとされています。胴の切削技術は鉄文化の完成にによりヒジリ等の刃物があったみられ、掘りは容易だったと推測されます。
どちらにしても、私が驚いたのは太鼓鋲が打ってあった事でした、革縁を長くして革の緩み抑える発想、胴の口径と長さの比率にも、興味深々です。私の想像ですが、黄金比率、古代ギリシャ紀元前490年頃に数学者「ユークリッド原理」の中で定義が書かれています。海を越え古代日本に伝わってきたのかなと、夢を膨らませていす、勝手な空想ですが、、、