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2020年10月29日

各地で始動の気配、太鼓関連のイベント

 まもなく10月も終わりますが、今月後半あたりから各地でぼちぼち太鼓などの演奏会が実施され始めました。

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 18日には愛知県の「光企画」が刈谷市で「君想う」と題したコンサート。新型コロナウイルス感染予防に配慮した環境で、久し振りの舞台は太鼓と笛の魅力がギュッと凝縮した密度の高い演奏で、以前よりも風格が増した印象でした。感染者も出さず、無事終了して私もほっと安心。

 

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 その週の23日は、私ごとで恐縮ですが、金沢市の県立錦ヶ丘中学校で「未来につなぐ石川の技」をテーマにした講演会で講師を。ほかの四つの業種で活躍しておられる県内の事業所の皆さんとともに、約1時間の講演で、太鼓の歴史や未来への展望などをお話させていただきましたが、生徒の皆さんの意識の高さにびっくり。講演後の質疑応答ではたくさんの質問が寄せられ、たじたじとしたほどですが、こうしてきちんと人の話を聞く姿勢は、むしろ大人が学ぶべき点。講師を務めた私の方がいろいろと勉強させられ、良い機会をいただいたことに感謝した一日でした。

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 翌24日は金沢市の市民芸術村で「現代散楽」と題したパフォーマンス。古典楽器や語りで幻の芸能「散楽」と「泉鏡花」の幻想的世界を表現したイベントで、元鼓童メンバーの坂本雅幸さんが太鼓で出演。相変わらずのキレのいい打ち込みを見せてくれましたが、目を見張ったのは昇り龍を描いた高蒔絵で加飾された桶胴太鼓。琵琶奏者の田代旭美さんの下絵で, 高蒔絵師 松田祥幹さま製作によるものとのことで、プラチナの輝きをまとった龍からは、今にも龍の鳴き声が聞こえそうな迫力。打ち手の坂本さんもどこか高貴なたたずまいに感じられ、やはり優れた楽器は奏者の姿までも押し上げるものかと納得。ここでも教えられること多く、目の保養もさせていただいた公演でした。

 そしていよいよ25日。当財団で企画した「今だから太鼓!」の本番!春からほとんどの活動を自粛していた地元4団体に日本舞踊の藤間信乃輔さんを特別ゲストにお迎えし、久し振りの舞台。「こんな時だから、今だからこそ、太鼓で元気を!」という趣旨で名づけたコンサートは、事務局が驚くほどのチケットの売れ行き。1200席の会場の5割の収容ながら、本番の数日前にはまさかの完売。この日を待っていてくださった太鼓ファンの皆さんに心からの感謝。また出演者の皆さんも、川北町の「手取亢龍若鮎組」の素晴らしい統一感を見せてくれた熱演、「和太鼓サスケ」の稽古を重ねた打ち込み、そして藤間さんの堂々した気迫の舞姿など、どのシーンも感慨深く、皆さんの太鼓に対する思い入れをあらためて感じた一幕一幕でした。

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 このコロナ不安の中、こうした舞台を実現できたのは、ひとえに白山市の後押しがあってこそ。企画段階から助言をいただき、本番の日は休日を返上して会場でお手伝いをくださった文化振興課の皆さん、本当にありがとうございました。 皆さんの熱意によって私も新たな元気をいただきました。これからも頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします!

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2020年10月 8日

それぞれの未来に希望を願う

  仲秋の名月に始まった10月。ずしりと重い二つの便りが届きました。

 一通は長野県在住の打ち手から。今から約30年前に日本の太鼓に心酔し、米国から日本に移住して第3期の鬼太鼓座に入座、やがて帰化して自身のチームを旗上げしたものの、まもなく病を得て今は活動休止を余儀なくされているとのこと。彼の体調のことは18年ほど前に耳にしてはいましたが、その後も舞台で元気な姿を見せていたので、快復したのだとばかり思っていました。しかし病は着実に進行していた様子。私には一日も早い快復を祈ることしかできませんが、どうか希望を失わず、必ずまた舞台に立てる日を目ざして療養に専念して欲しいと願うのみ。祈りが天に通じることを願います。

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 もう一通は、おおよそ40年にわたって「鼓童」の舞台制作を担ってきた(株)北前船の代表取締役を、青木孝夫さんから洲﨑拓郎さんにバトンを託したというお知らせ。青木さんは1978年に、鼓童の前身である「佐渡の国鬼太鼓座」に入座。81年に鼓童が創立されてからは「ハンチョウ」こと河内敏夫さんと共に鼓童の運営に携わってきましたが、87年の1月にハンチョウが急逝して以来、演奏家集団としての土台がまったく固まっていなかった鼓童を牽引。経済的にも興行的にも舞台づくりにも苦労に苦労を重ねて今日の鼓童に育て上げた、いわば「鼓童の父親」的な存在。現在、鼓童が世界の太鼓文化の頂点に立つ礎を築いたのはまさに青木さんの功績で、青木さんがいなければ今の鼓童はなかったと、私は断言できます。その青木さんが10月1日付けで社長の座を辞して会長に就任。洲﨑さんが今後の舵取りを担うわけですが、この難しい世界情勢の中、青木さんの不屈の闘志を引き継ぎながらも、洲﨑さんの若い発想で、どうか鼓童を、より優れた太鼓芸能集団として進化させていってください。どうぞよろしくお願いいたします。そして青木さん、長い間、本当に本当に、お疲れ様でした。

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