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2020年7月29日

寛斎さん、ありがとうございました。

 26日の夜、山本寛斎さんの身近にいる人から電話があり、寛斎さんが去る21日に亡くなられたことを知りました。思いがけない訃報でした。この春、白血病で入院されたというご連絡に続き、「元気になってまたイベントの現場に戻る」とのメッセージをいただいていたので、まさかこんなに早く旅立たれるとは思いもしませんでした。大きな衝撃でした。

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 山本寛斎さんはファッションデザイナーとしてその名を知られていますが、近年はイベントプロデューサーとしても手腕を発揮され、「KANSAI SUPER SHOW」と名づけて数々の大きなイベントをものにしてきました。そこにはいつも太鼓が活躍する場があり、太鼓文化とファッションを結んだ新しい文化の世界に導いてくださいました。いわば「太鼓界の大恩人」です。

 初めてお目にかかったのは1991年。翌年、ロシアで開催するというイベント「ハロー ロシア!」に、結成まもない炎太鼓を起用したいとのこと。自ら松任に来られ、実際に炎太鼓の演奏を見て、強烈なダメ出し! さらに再度にわたって来県され、微に入り細にわたってアドバイスをくださり、余分な演出をいっさい削ぎ落としてストイックなまでに研ぎ澄まされた演奏にたどり着いた炎太鼓をロシアに招いてくれたのでした。こうして現在に続く焱太鼓が誕生し、同時に私は未知の分野だったイベントのノウハウを寛斎さんの近くでつぶさに学ぶことができました。

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 以来、2000年の岐阜・長良川競技場での「ハロージャパン!ハロー21!!」、2004年日本武道館での「アボルダージュ〜接舷攻撃〜」、2007年東京ドームでの「太陽の船」、2010年有明コロシアムでの「七人の侍」など、いずれも壮大なスケールのイベントに、全国から集まった数十、数百人規模の「太鼓隊」として参加させていただいた幸せ。また2003年から東京新聞と共催で開催した「東京国際和太鼓コンテスト」では審査員を快諾いただき、毎回ユニークな審査評をいただいたことも楽しい思い出です。

 そうした足跡を踏まえ、これからいよいよ寛斎イベントの仕上げに入るという時に倒れられてしまうとは、なんとも残念でなりません。口惜しい限りです。

 けれど、いつも「元気!」という言葉が大好きだった寛斎さんのこと、きっと天国でも元気いっぱい、おろおろしている私を見下ろして「元気出せよ!」と叱られるかもしれませんね。

 いつも私の頭上にまぶしく輝く大きな太陽、寛斎さん、永い間お疲れさまでした。そしてありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします。

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